苦しいとき、どうすればいいの?

人の間にいるときは、やっぱり苦しい。
人のことを気にしなきゃなんないし、難しい。
自分の心のなかに他人がいたら、そわそわする。
ひとりぼっちになれたときに、ようやくほっとする。

わたしがいつも人と距離をおいて一人でいようとするのは
人といっしょにいると自分のことがよくわからなくなるからで
相手の気持ちを必要以上に考えたり 感じてしまうようなところがあるからなんだと思う

母親みたいなひとはもう二度とあらわれないし
誰か血のつながらないヒトと関係を築くときは きっと自立しなくちゃいけなくて
そっからうまいこと相互依存できる関係って高度すぎて
できることがあんまり想像できない

どうやって生きて行きたいだろうってかんがえたときに
やっぱりお金って 絶対十分条件ではないっていうきがして
いちばんではないと思った

大好きな神社が地元にあるんだけど
そこにいったときのすがすがしさとか
海を見たときのすばらしさとか
そういうのがわたしにとっての幸せだと思う
なにかができるとか、できないとか
なにをもってるか、もってないかではなくて
そのとき自分が幸福を感じているのかどうか、っていうのを考えながら生きたい

市川春子の漫画、悔しいけどいいなって思っちゃうよね
全部ガラスの水槽のなかの出来事みたいで
こんな場所、あるかよって思いながら、惹かれるし
でもわたしあんなふうに海と仲良くなれないんだな
当たり前だけど
ずっとまえ房総半島にある賃貸があってそれにすみたかった
寂しいトコに在るけど海のすぐちかくのメゾネットで九万円だった
わたし海苦手なのによく海にいく

わたしは自分が誰なのかよくわからない
彼女といるようになったときから 自分の発する感情が全部否定されてるような気がして
自分の発する言葉が全部あいてを傷つける悪いもののような気がしてつらくて
それが何年も続いたからなのか
いまだに自分の言葉で話すことや感情を持つことにすごく抵抗がある
どのように生きればいいのかわからないんだ

選択をできずにずるずると現状に甘えて生きる人はいちばんかっこ悪く見える
痛みも知らずに責任転嫁をする弱い人間は必ずどこかのだれかを傷つけている
でもわたしはよくそういう状態になる

最近わたしの周囲の人はやさしくて
わたしのありのままでいいじゃないかと言ってくれる
こんな状況は、生まれてこのかた無かったのだ
いつも悪者だったし、いつもダメな子だった
情緒不安定で感受性が強すぎるやっかいな子供だった
そしてべつに美しい容姿でもないから、自分に酔ってそれをドラマティックな要素にすることもできなかった

だから悔しくて必死で自分の為だけに頑張ったり、反抗したりしていた
自分だけが自分のみかたで、他の人間はいないも同然だったのだ


でも最近は自分の傍に優しい友達や知り合いの人がいて
両親もお前を認めたよっていってくれる

その状況はすごくこわい
ありのままの自分を否定されて、そのために戦ってきたくせに、
いざそれが周囲に肯定されると、自分自身だけがその状況を肯定できていない
責任が一気に圧し掛かってきたようで
自分が、ふつうに就職して結婚してみたいな生き方をうまくできないことが
明らかになってしまったみたいで
すごくつらい

制作にお金つかいまくっててほんとに貧乏ですごい。
でも作品つくるのがいちばん楽しいしつくらないでいるのはモヤモヤして苦しい。
今日実家帰ったらぜったい映像いっこつくる。石鹸のやつ。
石鹸も100個くらい買いたいけどそれはけっこうあとでもいい気がする。

■せっけん
■どれい
■シール
■泉

くるしいいいいいいい
たくさんお金があってたくさん手伝ってくれる人がいればこんな便秘みたいな気分になんなくていいと思う。

あとつくりたい作品のこと考えてみるとすごく新興宗教っぽくてきもいなーって思った。潔癖な感じずるし。でもしょうがないの。自分のいびつさのはけぐちなんだ。

ひとといると寂しくなる率が高くなる。あと、なんかSNSってほんとに害悪のような気がしてくる。ディスコミュニケーションだよ。もうやだ。ラブが足りない。まじで足りない。ほんと。作品つくらないと、人と関われない。温度のあるコミュニケーションができない。気がする。だからつくりたいんだろうし、つくんなきゃだめだと思う。がんばれよ、わたしは。
うううわーん。なんかなんか、だめだー。依存的なんだ。だめだーげんだいっこだー。