私はいつも差し出がましいことをして助けようとして、結局甘やかすのを手伝うだけだったのかもしれない。そうして我慢できなくなって爆発して縁が切れる。そのパターンが本当に多かった。千と千尋の神隠しのススワタリを思い出す。自分の仕事がなければ消えてしまう。重たい石を運ばなければ死んでしまう。

そんな重たい石を運ぶぐらいなら、死んでしまえたらいいのに。
このくらいのことは誰だって思っている。
わたし、人が自殺するのや自分を大切にしないのがただ悲しかっただけだ。

生きているとむなしさがいつもあり、醜いのがいやになります、といった。先生は「生き延びるためには多少なり醜くなるものですよ」といった。私は自分が若くて何もしらない人として見られているんだなと思って、自分でもそう感じた。

美しいものが好きだ。
でも最近は私の捜している美しいものはどこにもないような気がしている。
あったとしてもそれは多分まやかしだし、私はそれを手に入れたら必ずなくすと思う。
それでいいのだと思う。

そろそろ歳をとってきたから、生身のからだの醜さを受け入れなければならない。わたしは人間で、地に足をつけて生きていて、その体は醜い。醜くていとおしいなどとは間違っても書けない。今は、どちらかといえばその醜さが怖くてたまらないのだから。
でもそろそろそういう自分と対決しなければならない気がする。