わたしはあったかいとこの人なのだと最近思う。
あの人といたときは丁度すごく精神的に落ち込んでいてもう駄目になりそうだったときだった。
もともと温度の違う人間同士が、ちょうど似たような温度になって近づいただけだったのかもしれない。新しい男の人といるあの人は何だか寒そうだった。でも本人もそれを求めているのかもしれなくて、私にはもうなにも出来ない。

彼女のことを考えるとYさんのことを思い出す。ネットで知り合って本当にたまに会う人で、とてもよくしてもらっている。人が苦手そうなところや、感覚が鋭そうなところ、とても良い文章を書くところなんかが彼女と似ていた。けれど根本が何だか違うと思うのは、勿論彼らが違う人間だからというのもあるけれど、温度の違いも大きいような気がした。

それを寂しく思う。そばにいたいけど、そばにいるにはつめたすぎた。
彼女はどんどん夜の海に入っていった。
そんな人だった。
それを見て「自分は砂の上にいるしかないのだ」と、とても苦々しく、やるせなく、悲しく思ったのを覚えている。
私は天使みたいにはなれなかった。

私はいつも人に優しくなりたいと思ってきた。でも、人に優しくなんかできないような気がする。優しくしたいとか、えらそうだ。もうそういうのには疲れたし、出来ることしか出来ないし。いつも歩けば死ぬことばかり考えているけれど、多分大丈夫なんだということしかわからない。死ぬということがどうしてこんなに魅力的なのかわからない。絶対死なないけど。

彼女が自殺したら私は安心するのかもしれない。人の自殺が怖いというけれど、ゆるやかな自殺をされるぐらいならさっさと死んでほしいと思う。そのほうがほっとする。わたしは自分の悲しみが恐ろしいだけのエゴイスティックな人間なのかもしれない。
どうしてすべての人があたたかい毛布に包まれていないのだろう。どうしてそうでないことを許すほどのやさしさをいつも求められるのだろう。私はやっぱり悲しいことはいや。