今日は大学の子たちとスケートしに行った。スケートは難しかったけれど楽しかった。体を動かしていると考え事をせずにすむのだなと実感。明日も喫茶店とか川原に出かけてみようかなという気になった。川原で煙草吸いたい。その後高円寺に行ってセーターを買った。高円寺とか下北とかすごい苦手だ。歩いてる最中死ぬかと思うくらい落ち込んでたけど、みんなと服のおかげで少し元気がでた。

新宿近辺はあの人のことを考えてすごく悲しい気持ちになってしまう。あの人と思い出のある場所が都心に多すぎて今は都心がとても苦手である。東京の乾いた寂しそうな雰囲気、匿名性、そこで回遊する人々、まるごと苦手だ。死にたくなる。

高円寺で見たギャラリーの展示はひどすぎて呆れて不安になった。美術界隈ってこういうイタい人ばっかりだなって思って、自分もその中に組み込まれてるのかなと思うとだいぶ暗澹たる気持ちになって落ち込んでしまう。中央線沿いで「やったるで」と言いながら一生を終える人みたいな感じがして怖かった。自分の未来がこの作品作った人と同じぐらい暗いんじゃないかみたいな気持ちになった。
ちんぽむの作品に被災地で円陣組んでる映像作品があるけど、あれはリアリティがあって私とても好きだった。作品にいちばん大切なのはリアリティなのだと思う。真面目でもリアリティのない作品より「震災さいこー!」とかバカなこといっててもリアリティのある作品のほうがずっと心に響くし真摯な感じを受ける。
バカやってて、しかもリアリティがないっていうのが最悪だと思う。今日見たのはそれだった。

みんなに「あなたの作品はあれと全然違うから落ち込む必要ない」って言われたけど、私の作品もまだ世に出るレベルじゃないから結局ああいう人らと同じ次元で頑張ってるってことになるんじゃないかと思う。中央線沿いで若さの喪失と共に沈没していく人の気持ちになってわりと真面目に自殺を考えはじめたりしてしまう。

作った人だってそれなりに頑張ってるのかもしれないし、とかやさしいから考えるけど、なんていうかいろいろごまかしてるとすごい感じたから、クソだったって言いたい。本当に自分の悩みに向き合って作った作品なのかききたい。震災とか正直お前どうでもいいだろ、それよりカワイイ女の子といかに付き合えるかとか、どうしたら楽してお金持ちになってみんなからちやほやしてもらえるんだろうかとか、おれこのままでいいんだろうか、とか考えてるだろ。そういう直近で悩んでるであろう(あるいは悩んでもいないでアホなこと考えてるのかもしれないが)くだらないことを題材にしたほうが絶対にリアリティが出るし美しいよって思う。
道徳的であったってそれが嘘なら何も面白くないし、真摯な顔してもふざけてもお洒落な顔しても上滑りしてごまかしていたらただただ寒いだけなんだと思う。

鬱状態でゾンビみたいになりながら下地だけつくったパネルがある。とにかく元気がない。しょうがないけど。先週はずっとぐったりしてるか泣いてるかDVDみるかしてた。それなりに広いマンションに住めるぐらいのお金持ちになりたい。絵でもなんでもいいけど。本当は就職できる人になりたかった。なんかしらないけど、昔から誰も私に就職を期待しない。

私は絵描きになるって学校の人にすごく思われてるっぽいけど全然自信無い。院にいって絵がおしゃれでうまくてそれで終わりになりたくない。同じ学年で天才みたいな人もいてそういう人は取り巻きがすごいいるしギャラリーもつく。
私は天才とかじゃない。でも絵を描きつづける人だと思われてる。絵が描ける。少しつらい。逃げたくなる。

こうやって文章を長々書くことで少しだけ痛覚が麻痺する。わたしにとって文章は遠回りする手段なのかもしれない、だから私には文章の才能がないのかもしれない。きょうは延々とこの日記を書いていたい。