自分のなかに信じられないくらい皮肉やな部分がある気がする。基本的にひとに期待しないから傷つかないのに、言葉だけはへんに信用してしまい傷つく。美しい文章を見て傷つくのは多分それを勝手に信用してしまい裏切られた気になっちゃうからだ。

絵画は嘘だとわかっているから傷つかない。文章は本当みたいな気がしちゃう。でも文章もうそだ。うまい作家は文字に意味を込めない。真実はいつも行間の空白にしかない。

芸術家を追放しろといったソクラテス?の気持ちはわからないでもない。でも芸術があろうとなかろうと現世ではすべてが薄汚れてるから追放なんかしても無駄だ。真新しい雪ですら汚れているのだし。

本当に真っ白な美しさを求めるのがばかなのかもと思う。
わたしはバカだと言われたいし失望したくない、ていうか、そんなちんけな失望をやさしく笑ってもらいたい。気にかけないでいてほしい。というのが理想。
自分のこと好きになれたら、なにも完璧じゃないことがよろこべるようになるのか。
わたしはまだ完璧なひとしか好きになったことがない。それは不幸なことだと思う。