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リラックスしたらいいといわれると「リラックスしろ」といわれているように感じてしまう
リラックスしたらいいという言葉に他意はないと思うし、命令でもないから、リラックスするかしないかという選択はわたしの自由だし、リラックスしているかどうかみたいな判断もわたしがしていいはずなんだけど
もし私が姿勢を正したまま心だけはリラックスしていたとして、相手はその姿勢を崩すことこそがリラックスだと思ってるかもしれなくて、そういうことをいちいち気にして考えてしまったりする自分が嫌になる
あとそういうことを考えさせる他者というものの存在が非常にわずらわしくなることも多いし なんだかつらくなって学校に行けなくなり、たいしたことじゃないのに一週間くらい家から出られなくなったりする
他人は私が思い通りに動かなければ不機嫌になるものというすり込みがある 相手の杓子定規に合わせ期待にこたえないとならないというのと、まったくもって答える気をもてないというのの二つがせめぎあう
そのままでいいというのもよくわからない そのままなんてありえるとも思えない
不道徳に遊びまわって決まりごとなんかなくて平然としていて心があるように感じられない人のほうが幸せで自由なのかもしれないと思う