嘘や言い訳を見抜けないで額面どおりに受け取ってしまうのがつらい

多くの人が本当のことなんか知りたくないし甘い嘘を聞いていたいし
自分を信じて幸せになったりしたくなどない
それか自分でしなきゃならないことを全部人にやってもらいたい怠け者
そのために自分を愛してくれる人がどうなろうと知ったことではない

彼らは私が怒ると「正論を言うな、酷い、怒るな、やさしくない」と言う
或いは全てを受け容れられない私に愛がないと言う
彼らは、その無償の愛のために人が死のうとなんとも思わないのだと思う

それは愛だろうか
人身御供ではないのだろうか
愛とは人身御供なのであろうか

キリストはだから磔刑になったのだなと納得する
概ね人は人を踏みにじって生きることになんの疑問も持たない
仕方ないのだといって人を喰う
家畜を喰うのと同じに
それは自分のことを家畜と思っているのと似ている
人は自分を喰うと思うから自分も人を喰う
そのはじめには不信がある

私は昔から「あなたは冷たい」と言われたりしたから 
人に優しくなりたい誠実な人間になりたいといつも思うけれども
そういうのはしちゃいけないのかもしれないと思った
あと「そういうやつらは『アーこういう人なんだな』と思ってほうっておくべき」とまともな人には言われる
たしかにそうなんだね

人は不幸でいたがっていることが多い
幸せになることが必ずしも幸せではないのだ
その人があきらかに不幸なことを選ぶのを見守るしかない

でもなぁ、「好きにいきなよそれが幸せなら」っていうと
みんなすごく後ろめたそうな感じになるよね
自分で選んでるくせに 意味わからん